とでも名付けましょうかこの病。
私も罹ってましたこの病。
子どもが石蹴って遊んでます。
しかし、単純に蹴るだけでは飽きてしまう。
ここから蹴ってあそこに描いた◯の中に入れたら勝ちな!
とルールが増えます。
その◯はどんどん小さくなっていき、何回蹴っても入らない子はその遊びを辞めていきます。
そして残ったのは、小さい◯に石を蹴り入れる達人のみ。
遊びの本質を置き去りにして、今日も針の穴ほどの◯に石を入れる遊びに興じています。
その遊び、楽しいですか?自由ですか?
私はしんどかったです。
あいつならあの◯に入れられる、という周囲の期待も割と辛いです。
なので辞めました。
大きな◯に石を蹴り入れる遊びに興じています。
◯に入らなくても、石を蹴ってあらぬ方向に転がっていくのもまた面白い。
神成さん家のガラスを割って怒られるのもまた思い出。
という与太話ですが、メトロノームのクリックにぴったり合わせるのと同じですね。
正確無比であるほどすごい!みたいな。
自分はすごい!と周囲に思わせたいから、そういうルールを作ったのかもしれません。
ここで言う小さな◯はクリックする瞬間の点、大きな◯はクリックとクリックの間です。
8分とか16分とか点を感じてはいけません。
その間には何もないです。
つまりそこにどう音を並べるかは自由です。
音楽って実はもっと単純で自由です。
当たり前と思っていたルールから開放されることは、ときに恐怖を覚えます。
地上波エヴァ最終回でも、シンジは自由に戸惑い、不自由を与えられると安心する、という描写がありました。
日本人は自由が苦手です。
それを自覚して、命綱を切って自由に飛び込んでいきましょう。
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