ロックは反逆の象徴か

ロックと反逆

今の日本は、独自の文化と海外から流入した文化が入り乱れたカオスな状態になっていると思います。
神社の鳥居をくぐると背筋が伸びる人が、休日にはヒップホップを爆音で流しながらラップバトルするのも全然アリです。
文化と接するときは常にリスペクトを持ちたいですね。

ビートルズが絶大な人気を博し、来日時には日本のロックファンが狂喜乱舞した時代がありました。
戦争を全力で駆け抜けた元兵士や、爆弾の雨霰をかいくぐって生き延びた人たちが当時の日本を牽引していましたが、彼ら(と一括りにするにはちと乱暴ですが)は眉をひそめてこう言いました。

「ロックは不良のやることだ」

大切な人の命を奪い祖国を蹂躙した米英の文化や娯楽など、認めたくもないでしょう。
戦時中の「お国のために」の献身性があったからこそ、戦後の日本があります。
それでも時間は流れ時代は変わっていきます。
戦後の平和と爆速の成長を謳歌する若者にとって、その献身性は窮屈だったのでしょう。
異国文化を受け入れることそのものが、当時の親世代への反逆、つまり反抗期の過ごし方だったのかもしれません。
今はどうでしょう。
「ロック=不良」は、私が高校生の頃、今は亡き祖母が発したのを最後に聞かなくなりました。
当たり前のようにロックやヒップホップがTVやyoutubeで流れ、歌舞伎町ですれ違う人の半分が外国人です。
価値観の多様性が広がり続ける中で、どうやって親への反逆を示せばいいでしょうか。

私の反逆

私の少年時代は反抗期がありませんでした。
いわゆる聞き分けの良い、親にとって都合の良い子供でした。
そう思っていました。

私の家庭は、娯楽の大半を禁止されていました。
「ロック=不良」の方程式を持った祖母が健在だった高校1年のある日、私は、友達や姉(なぜか姉はある程度の娯楽が許されていた)の影響でギターを買おうと思い、家族に話したら案の定

「やめろ」

という反応でした。
家族の言うことが絶対だった当時の私にとって、この言葉は絶望でしかありませんでした。
その年の夏休み、ギターを背負って帰ってきた私の姿を見た家族がどう思ったかは知りません。
祖母が心底嫌そうな反応をしていたのは覚えています。
人生で初めて家族の言葉に逆らい、自分の金で、自分の意志で、自分の欲しいものを買いました。
4万円も、学生にとっては決して安くはありません。
自分の感情を押さえ、家族の期待に沿うようひたすら耐え続けてきた当時16歳の私は、とても勇敢な決断をしたと思います。
ギターを買うという行為そのものが、数少ない手札から切った親への反逆の一手でした。
自分自身を過小評価していただけです。
反抗期、ちゃんとできてました。
反逆の象徴は自立の象徴でもあります。
そしてそれは、人生においてとても大切なものです。
仕事もギターの練習もしんどくて動けなくなり、こんなに苦しいならいっそ全部ギターを売ろうと思ったけど、結局手放せずダラダラと引き続けて幾年。
本当に大切なものは常にそばにあった、そんなことに気付いた良い週末でした。

その最初の1本は借りパクされたんですけど。

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