「ある」と「ない」と「」

ある=この世界に存在するし手に入れている
ない=この世界に存在するが手に入れていない
「」=そもそもこの世界に存在していない

プログラム経験者であれば
!isnull
isnull
変数がない
みたいに説明すると分かりやすいかもしれません。

そうれなければ、お金が分かりやすいかもしれません。
お金がある=お金を持っている
お金がない=お金を持っている状態を知っているが、今はその状態ではない
「」=金なんて見たことも聞いたこともないし、そんな概念すら知らん

「」の状態は、それが存在しなくても問題ない世界なので、変とか劣っているとかそういう話ではありません。
それについて考えることがないため、むしろその方が、「ある」「ない」よりも万倍幸せなことも多々あります。
俗に言う「知らないほうが幸せだった」というやつです。
ちなみのこれは、大抵「ない」状態のときに言われる言葉です。
そして「ある」状態になったとき、「あのとき知ってよかった」という言葉になります。
人間は何かと都合よく考えるので。

これはより良い人生を送るヒントになり得ますが、ちょうどいいのでバックビートに置き換えてみます。
洋楽を聞くものの、日本の音楽にどっぷり浸かっていたので、洋の東西の違いこそ薄っすら感じれど、それを形にできない、自分の弾くフレーズが何かダサいと思い続けてきました。
しかしこれはセンスや技術の問題なのでは?と思い、そこに言及することはありませんでした。
この状態は「」です。

そのもどかしさ、日本の音楽や自分のスタイルに息苦しさや行き詰まりを感じ、模索していった先に、バックビートというものを知りました。
腹を括って練習し、割と短期間で感覚を掴めました。
この状態が「ある」です。

しかし、油断すると元に戻る日々。
この元に戻ったときの状態が「ない」です。
「」のときと比較すると、下手に「ある」を知ってしまった分「ない」状態のほうが辛いです。
必死に足掻いて藻掻いて「ある」状態になろうとします。
しかし、バックビートはずっとそこに「ある」ものなので、それに気付いてしまえば失うことはありません。
修練を重ねて習得する技術でもなければ、頭でこねくり回して結論を出すような知識でもなく、ただ気付くだけです。
なお、体の中にありました。

半端に手を出して「ある」に一瞬でも気付いてしまったら、もう「」には戻れません。
やるなら腹を括りましょう。
対価として、とても幸せな音楽ライフを送れます。
技術がなくても、パワーコードしか知らなくても満ち足りたギターライフを送れます。
4分音符でコード弾いてるだけでめちゃめちゃ楽しいです。

なんでこれが人生をより良くするのかって?
これを「愛」とか「神」でやると、何か分かるんじゃないかと思ってます。
実は私の周りが常に愛で溢れていて、神様が常に一緒にいて、それに気付いたときに人生がどうなるのか興味があります。
神の存在は否定できません。
偉大な科学者も「研究すればするほど神の存在を認めざるを得なくなる」と言う人は多いです。
聖帝サウザーが死の間際、愛に気付いたときのように、穏やかで優しい時間を過ごせるかもしれません。
「神はいない」「愛などいらぬ!」で生きてきたので、今体を張って実験しています。
4分音符でコードを弾くことに該当する人生の行動って何でしょうか。
呼吸をする、トイレに行く、歩く、とかでしょうか。
それだけで幸せを感じられるなんて最高じゃないですか。
ちなみに、何か特定の宗教を信仰しているわけではないですが、強いて言えば仏教徒です。

ずっとそこにある愛と神に気付いていきましょう。

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